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東京地方裁判所 昭和38年(行)38号 判決 1967年7月05日

原告 八幡硫黄株式会社

被告 仙台通商産業局長

代理人 鰍沢健三 外四名

主文

本件訴えを却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実<省略>

理由

本件訴えは、秋田県採掘権登録第一七一号鉱業権に基づく原告の硫黄掘採が、十和田八幡平国立公園の景観保護ないし風致維持及び温泉資源の保護に支障を生じ、著しく公共の福祉に反するようになつたと認めるべきであるから、被告は、鉱業法五三条の規定により、右のように認めて本件鉱業権の取消処分をなすべき義務があるとして、その義務確認を求めものであるが、このような訴えが行政事件訴訟法三条一項に規定する行政庁の公権力の行使に関する不服の訴えとして許されるかどうかを判断するに先だち、原告が本件訴えを提起するにつきいかなる法律上の利益を有するか(原告適格ないし訴えの利益の問題)について検討することにする。すなわち、被告が、鉱業法五三条の規定に、本件鉱業権の取消処分をなすべきであるにもかかわらず、あえてその処分をしないという行政権の優越的地位におけ不作為によつてとりわけ原告のいかなる権利利益が侵害されまたは侵害されるおそれがあるかということである。

鉱業法五三条は「通商産業局長は、鉱物の掘採が保健衛生上害があり、公共の用に供する施設若しくはこれに準ずる施設を破壊し、文化財、公園若しくは温泉資源の保護に支障を生じ、又は農業、林業若しくはその他の産業の利益を損じ、著しく公共の福祉に反するようになつたと認めるときは、鉱区のその部分について減少の処分をし、又は鉱業権を取り消さなければならない。」と規定する。いうまでもなく、旧鉱業法(明治三八年法律四五号)三九条「鉱業公益ヲ害スルモノト認メタルトキハ主務大臣ハ鉱業権ヲ取消スヘシ」の規定と軌を一にし、これをさらに敷行したものであるが、鉱業法五三条の規定により保護されるべき対象は、規定にいうとおり、「保健衛生」であり、「公共の用に供する施設若しくはこれに準ずる施設」であり、「文化財、公園若しくは温泉資源」であり、「農業、林業若しくはその他の産業」であるから、同条の法的保護利益は一般公共の利益及び他産業の利益というべきである。〔これに対し、取消しの客体が鉱業権であるから、当該鉱業権者の権利利益はかえつて適法に侵害されることが是認される。いいかえると、同条の規定する鉱業権取消制度は、鉱業の利益と一般公共の利益及び他産業の利益との両者の利害を調整し、公共の福祉の保持増進のために両者の利益を否定し、後者のそれを肯定する作用として機能する。したがつて、同条の規定による鉱業権の取消処分がおこなわれないことによつて、当該鉱業権者の権利利益が侵害される余地はもとよりありえない。鉱業法五三条の趣旨をこのように解するかぎり、被告が同条の規定により本件鉱業権の取消処分をしないことによつて侵害され、または侵害されるおそれのある原告の権利利益は、もともと存在しないものというべきである。ただ、本件鉱業権に基づく原告の硫黄掘採によつて十和田八幡平国立公園の風致景観及び温泉資源等の利益が侵害されるとしても、このような利益は、一般公共の利益であつて、原告の個別的、具体的利益たりえないものである。そうすると、原告は本件訴えについて原告適格を有しないといわなければならない。

ところで、本件訴えの原告適格に関し、原告はまず次のように主張する。すなわち、被告が鉱業法五三条の規定により本件鉱業権の取消処分をしなければならない客観的事態として、本件硫黄掘採が十和田八幡平国立公園の景観保護ないし風致維持及び温泉資源の保護に支障を生じ、著しく公共の福祉に反するようになつた以上、原告は、当然に本件鉱業権の取消しを停止条件とする同法五三条の二の規定による損失補償請求権をその利益内容とする条件付権利ないし期待権を有するにいたつたが、被告の本件鉱業権の取消処分の違法な不作為により右条件付補償請求権における条件の成就を妨げられ、もしくは、遅延させられ、または補償金を現実に取得する途を塞がれて寞大な損失をこうむつたから、被告の右不作為が原告の右条件付補償請求権を侵害する関係にあるというのである。しかしながら、同法五三条の二に規定する損失補償制度は、同法五三条の規定にもとづく鉱業権の取消等の処分よつてに生じた損失を当該鉱業権をに補償するにあるから、処分のないところまたは処分があつても損失のないところに、損失補償請求権の発生もありえないし、また損失補償請求権の利益内容が処分によつて生じた損失を償うこと以上のなんらかの利益をもたらすようなものでありえない。したがつて、鉱業法五三条及び五三条の二の規定に従い、鉱業権を取り消されてその損失を補償されることは、毫も当該鉱業権者の利益を結果しないことを明らかであるから、被告が本件鉱業権の取消処分をしないことにより原告の停止条件付補償請求権が侵害される関係にあるとする原告の主張はとうてい採用できない。

つぎに、原告は、厚生大臣が本件鉱区につき十和田八幡平国立公園の区域内における特別地域を指定し、原告をして法律上硫黄の掘採を不可能ならしめ、かつ本件鉱区全域がもつぱら国の管理使用されるところとなつているにもかかわらず、原告に対しては憲法に保障する正当の補償の途が絶たれているとして、本件訴えの原告適格の理由づけを試みる。しかし、国立公園特別地域内において鉱物を掘採する行為は、当該特別地域が指定された際既に着手していた掘採行為を除き、厚生大臣の許可を受けなければすることができないが、その許可を得ることができないため、またはその許可につき国立公園の風致を保護するために必要な限度において条件が付せられたため損失を受けた者に対しては、通常生すべき損失を補償する定めとなつていることは、自然公園法一七条三項、一九条、三五条一項(昭和六年法律三六号国立公園法八条二項、三項、八条ノ三)の規定によつて明らかである。したがつて、原告は、厚生大臣の本件特別地域の指定に対しては、本件鉱業権にもとづく鉱業稼行として引き続き硫黄を掘採すべきことについて、ただちにその許可を申請することができるし、その許可を得ることができなかつたため、またはその許可に条件が付されたため損失を受けた場合においては、その損失の補償を請求することができるわけであるから、憲法上保障された正当補償の途が絶たれたとする原告の右主張は首肯しかたく、採用のかぎりでない。

また、原告は、本件鉱業権が取り消されないことによつて、次のような権利侵害があると主張する。被告は、原告の昭和二八年一〇月一〇日付及び昭和二九年五月一三日付本件鉱区施業案変更許可申請についてようや昭三〇年一一月一二日にいたつて認可したが、かくも右認可が遅延したことにより折角の採算に来る硫黄掘採の絶好の機会を空しく逸せしめ、また厚生大臣は、原告の昭和三二年三月二五日付国立公園法八条二項に基づく硫黄掘採許可申請を六年半もの長い間握りつぶしたままその許否いずれとも明示しなかつたことにより、ついに原告をして本件鉱業権に基づく鉱業稼行を事実上廃棄せしめ、よつて原告に対して与えた損害は甚大であるというのである。しかし、原告の主張する損害は、被告における右のような施業案認可遅延及び厚生大臣における右のような掘採許可申請の握りつぶしをそれぞれ当該国家公務員の公権力の違法な行使に帰し、これによつて生じた損害として、その賠償を国家に対して請求すべきものではありえても、本件鉱業権が取り消されないことによつて原告のこうむる損害とはおよそいえないものである。原告の右主張もまた理由がない。

ちなみに、鉱業法五三条の規定による鉱業権の取消しに不服がある者は、土地調整委員会に対して裁定の申請をすることができるが(同法一七八条)、土地調整委員会設置法によれば、土地調整委員会に裁定を申請することができる事項に関する訴えは、その裁定に対してのみ提起することができ(同法五〇)かつ、東京高等裁判所の専属管轄とする(同法五七条)。したがつて鉱業法五三条の規定による鉱業権の取消しを不服とする事項に関する訴えは、土地調整委員会を被告とし、当該事項に関する裁定の取消しを求めて東京高等裁判所に提起すべきであるから、鉱業権の取消しの処分庁である通商産業局長を被告とし、その処分の取消しを求めて地方裁判所に訴えを提起することはできない。しかも、土地調整委員会の行なう裁定については、その手続が準司法的構造によつて進められているし(前記設置法二五条以下)、その訴訟については、国の利害に関係のある訴訟について法務大臣の権限等に関する法律六条一項および二項の規定の適用を除外し、法務大臣の指揮を受けることなく訴訟をなしうることとして(同法五八条)、土地調整委員会の職権の独立性(同法五条)を保障し、当事者の裁判所に対する新しい証拠の申出を制限して(同法五三条一項)、すべての証拠ができるだけ土地調整委員会の裁定の段階で出尽すようにし、かつ、土地調整委員会の認定した事実は、これを立証する事質的な証拠があるときは、裁判所を拘束すると定めて(同法五二条一項)、土地調整委員会の鉱業に関する専門的技能を尊重する建前をとつているのであるから、土地調整委員会は、実質的には行政訴訟における第一審裁判所の機能を果していというべきである。そこで、本件のような鉱業法五三条の規定による鉱業権の取消しが行なわれないことを不服とする事項に関する訴えが、同規定による鉱業権の取消しの不服の訴えとその訴訟の実質的争点を共通のものとしながら、土地調整委員会の当該事項に関する専門的知識技能にもとづく事実認定を終ることなくして、その訴訟における審理を終るにいたることは、前記設置法に定める特別の争訴制度の存在をまたく否定する結果を確認することに通ずるものであ、か見地からみても、本件訴えの適法性にやはりわしいといわければならい。

まえに述べたとこよ、本件訴えは、その原告適格を欠くことが明らかであるから、これを不適法として却下すべきである。そこで訴訟費用の負担につき民訴法八九条の規定を適用して、主文のとお判決す。

(裁判官 緒方節郎 中田幹郎 前川鉄郎)

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